コロナ禍が現代社会に警告する神学的課題:「創造の秩序」と自然界への慎み
以下に書く内容は、私のまったくの私見であるが、個人的に感じるところがあるので、記しておきたい。
なお、この内容にはだれかを傷つける意図はまったくないが、結果的にどなたかが傷つかれたら、申し訳ありませんでした、とはじめに謝罪させていただきたい。
というのも、すでにコロナウイルスの拡大により、多くの亡くなる方々が出ている状況においては、以下の内容について「不謹慎だ」とお考えになる方がいても、自然だと思えるからだ。
そのことを承知のうえで、コロナウイルスの現在の状況から、いま私たちになにが警告されているのか、個人的に感じていることを書かせていただきたい。
神学の領域における「創造論」との兼ね合いで、考えさせられることがいくつかあるのだ。
コロナの脅威についての痛ましいニュース報道が続くなかで、
それらとはニュアンスが異なるニュースがいくつか聞かれた。
真偽のほどは検証していないが、以下のことだ。
・ウイルス拡大により、武漢が封鎖されてから、中国の大気汚染濃度が劇的に改善された。
中国の大気汚染については、ずっと前から気になっていた。
私の前任地には毎年、かなりの黄砂とPM2.5が飛来し、着任してから4年目くらいまで、春の時期はストレスとあいまって、咳がとまらないことが多かった。
中国の大気汚染の深刻さについて訴える動画も多数あるが、どれも極めて悲惨なもので、見るにたえない。
ところが、コロナにより以上の状況がごく一時的にであろうが、改善された、という。
・コロナウイルスと似たウイルスが、密漁と乱獲により絶滅危惧種となっている「センザンコウ」から検出された。
センザンコウというのは、アルマジロのような見た目の動物だが、この鱗は薬として使われ、その肉は珍味として食されていたという。
この動物は、経済的利益によりあまりに取引されてしまうことで、絶滅危惧種に指定されている。
その動物から、コロナ類似のものが検出された、というのは、なんらかのメッセージの暗示に思えないだろうか。
・コロナウイルスの感染源となる場所の多くが、日中の仕事場や学び舎というよりも、夜の街の酒場等に多いということ。
夜にお酒を飲んで遊ぶ場所においてコロナの感染がおおくみられるという傾向は否めないだろう。
これもまた、「どうしてか」ということについて、なんらかの暗示を感じるのだ。
上にあげたのは、三つのことだけだが、おそらく探すならさらに多くのことがみつかるだろう。
たとえば、
「コロナにより地域間の争いが停戦した」
「働きすぎていたことがわかった」
「家族との関係を見直す機会となった(コロナ離婚、コロナ結婚という言葉まであるらしい・・・)」
こういった事例から私が個人的に受け取るのは、現代社会が神の創造された自然界の「秩序」によって警告されているのではないか、ということだ。
もし人類が、センザンコウのような動物を乱獲せず、大気汚染もせず、
夜の街で遊ぶような習慣もなかったら(これらのことは非現実的だが)、このような事態になっていたかどうか、自分にはよくわからない。
ただ少なくとも、現状よりははるかに軽傷で済んだかもしれない。
社会システムの面でも、「わかっちゃいるけど、やめられない」という形で、経済優先の在り方を続けてきたが、コロナによりそれが強制的に停滞させられる。
そのとき、はじめて「これまでとは異なる在り方」をさせられることで、「これまでの在り方」との比較が可能になる。
こうして、「これまでやっていたことのダークサイド」が、意識のなかで自覚され、整理されてくる。
「コロナで自粛しているうちに気づいたのだが・・・」というようなことが、私達にはいろいろあるかと思われる。
少なくとも、現代社会の極めて豊かな、欲望を自由に満たし続けることができる生活が、コロナ禍の「間接的原因」となっていることは、否定できないのではないか。
私自身は、神ご自身がコロナ・パンデミックを引き起こす「主体」となっている、とは解釈していない。
つまり、神が自らの意志と選択により積極的にこういったことを起こしているというよりも、
人間が自らの罪の在り方をひたすら推進することにより、
ひとりひとりの生き方が神が創造された自然の秩序に対する「圧」・「ダメージ」をかけ続け、
それに対する自然の秩序の「リアクション」として、こういったことが起こっている、
神はそのリアクションを許容し、私たちに重要な教訓を学ばせ、従来の生き方を転換させようとしておられる、と理解している。
人間はここから、「これまでとこれから」を展望し、生き方を再考するように招かれているのではないか。
自然界は基本的に、神のプログラムによる精妙な「バランス」によって成り立っている。
そのバランスを人間は、自らの欲望を満たすために、構造的な形でゆがみを与え続けてきた。
それについて、自然の秩序からどんな「リアクション」を受けても仕方のないほどにまでなっていることは、おそらく否めないだろう。
異常気象なども含めて、人間の罪の影響を度外視して考えることはできないのではないか。
私たちのこれまでの豊かなあり方は、明らかに自然界と共生するものではなく、よって「持続可能」なものではないのだ。
コロナも、神が創造された自然世界に対する基本的な配慮と慎みを忘れてしまった私たちに対する、生き方を再考し、転換するようにとの警告であるように感じられる。
「人間 VS 自然」という対立はずっと以前から存在するものだが、近年これが非常に尖鋭化してきている。
以上の図式は、近代世界がよってたつ「進歩主義(啓蒙主義)」・「ヒューマニズム」の図式では乗り越えることはできない。
私たちは神との関係をイエス・キリストにより修復していただくことで、隣人との関係のみならず、
自然との関係も修復していただかなくてはならないのだ。
「神と和解し、自然と和解する」ことが、21世紀の最重要な神学的主題となるだろう。