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スポルジョン 「霊的」説教

 百人一読―偉人と聖書の出会いから(33)チャールズ・スポルジョン ...



チャールズ・ハッドン・スポルジョンの説教については、以前掲載したサイトでかなりのものを読むことができる。

 

[葡萄の実 翻訳ミニストリー]のページにある、説教集のなかにスポルジョンのものが多数あるので、そちらをぜひお読み頂きたい。


このサイトは本当にすばらしいと思う。あなたがもし聖書の真理を求めるキリスト者や牧師であるなら、読まないと損をすると申し上げたい。

 

彼の説教の特質の一つは、その強烈な霊的性格である。

 

彼の説教は、ある程度の分量のあるテキストを取り上げて、それを歴史的・神学的に掘り下げて行く、というタイプのものではない。


あるごく短いテキストを取り上げ、そのテキストについていくつかのメッセージ・ポイントを取り出し、それについて神学的かつ実践的に展開する、というものだ。


スリー・ポイント説教という部類に、どちらかといえば近いと思う。

 

しかし、彼の説教はこうした「形式・構造」といったもので割り切ることができるものではない。


彼の説教をなんらかの分類に入れたとしても、それで彼の説教が理解できたことにはまったくならない。

 

その説教の真正の力は、彼の説教から響いて来る聖霊なる神の息吹なのだ。

 

彼の祈りの生活は、灼熱のような讃美、懇願、とりなし、感謝に満ちていた。


涙を流して祈り、神に嘆願し、魂の救いを祈っていた。


その熱い祈りの生活を通して受けた聖霊なる神の恵みが、説教において洪水のように流れ出てくるのだ。


聖霊なる神の息吹と生命に浸された、その霊的深みと霊的熱意をもって語りだされているところに、彼の説教の力の根拠がある。

 

翻って、現代の牧師の説教(自分自身も含めて)を聞いてみて、彼と比べるとどうだろうか。

 

「この先生はよく勉強されているな」と感じる説教がある。


「よく整えられているな。明確だな」と思うときもある。


「歴史的に非常に深い知識をお持ちだな」と思うこともある。


「教義学をものすごく勉強されたのだろうな」と思うこともある。

 

現代の牧師には、すばらしい説教者がたくさんいると思う。

 

しかし同時に、スポルジョンの説教にあるような、聖霊なる神にある祈りの深みから語りだされるような、「霊的迫力・霊的熱意」に欠けているものが、非常に多い。


どこか、心に満たされないものが残る。


聖霊なる神の命に触れることができないものが多いのだ。

 

自分自身に対する戒めも含めて、説教の生命とは聖霊なる神にあるのであって、アカデミックな知識や社会分析といったこととは、別次元の事柄なのだ、ということをしっかり押さえたい。


もちろん、知識や社会的事柄をないがしろにするわけではないが。中心はどこか、という問題だ。

 

神と交わる祈りの生活が枯渇しているなら、説教は人間的な講演になってしまい、神の前にまったく無力そのものなのだ。

 

スポルジョンの『説教論』に含まれている、ヘルムート・ティーリケの解説を、ぜひお読みいただきたい。そこでスポルジョンの説教の「霊的性格」について触れられている。

 


スポルジョン 説教のプリンス

 百人一読―偉人と聖書の出会いから(33)チャールズ・スポルジョン ...


スポルジョンの名前を知っているだろうか。知らない人の方が多いかもしれない。

 

彼は、19世紀でもっとも偉大な説教者だと思う。


彼は「説教者のプリンス」と呼ばれている。

 

彼の説教のかなりのものが、以下のページで日本語で読める。このサイトは本当にすばらしい。心から作成者に感謝したい。


ぜひ訪問してほしい。キリスト者にとっても、説教者にとっても、刺激に満ちている。


福音の前進に貢献しているすばらしいサイトだと思う。

 

「葡萄の実 翻訳ミニストリー」

 

http://homepage2.nifty.com/grapes/SpurgeonS0000B.htm

 

 

スポルジョンの説教は、途方もなくクオリティが高い。

 

そして、そのクオリティが、毎回毎回揺るがない。


毎回ホームランか2、3ベースヒットを打つ脅威的な説教者だ。


これがどんなに困難なことか、自ら奨励や説教を担ったことがある人なら、よくわかるだろう。


たとえば、カール・バルトの説教であっても、退屈さや眠気をもよおすようなものもある。


まして、一般的な多くの説教者で、会衆が自らの説教で寝ているのを目撃するのは、よくあることと言えるのではないか。


ところが、スポルジョンの説教は緊張感に満ちており、眠気をもよおす隙さえ与えないほどの警告と恵みに満ちているのだ。


しかも、それがぶれることなく、安定的になされるのは、ほとんど驚異だ。


大いなる聖霊の力に満たされた真の牧師であり、模範とすべき人物の一人と言っていい。

 

スポルジョンの説教に触れると、心にぐさぐさ刺さって来る。


そして、慰めがふいに嵐のように吹いて来る。聖霊なる神の働きの渦のなかに巻き込まれるようだ。

 

英語がわかる方は、「spurgeon sermon」で検索すれば、mp3の音声で彼の説教を聞くことができるサイトもあるので、活用してほしい。これも、すばらしいものだ。

 

彼の説教を英語でじっくり読んだときが忘れられない。頭をうちつけられたような衝撃だった。

 

「御言葉に貫かれる」とはこのことか、と思った。

 

彼の説教は、「勇猛果敢」という言葉が当てはまる。彼に比べれば、現代の牧師の説教は「へっぴり腰」そのものだ。


会衆の好意を失い、反発を食うことを恐れて、聖書の真理を差し控えるところがある。


ところが、スポルジョンは、裁きや罪の指摘を語ることをまったく躊躇しない。

 

彼が最後の審判を語ることを聞くと、身震いする恐ろしさと希望が湧いて来る。

 

彼が「悔い改めよ!」というと、心がズキズキ動いて躍動する。

 

彼を通して響いて来る神の言葉と聖霊の力を、ぜひ豊かに味わって頂きたい。

 


齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

https://www.youtube.com/@user-bb1is6oq4x/featured

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