キルケゴールの思想については、「神学」と呼べるかというと、微妙なところだと思う。
彼の思想は、神学分野においては、「弁証学(信仰がまだない人に、信仰についてわかるように説明する学問)」に属していると思うが、「神学」というよりは「哲学」だ。
彼を他の哲学者と区別するのは、強烈なキリスト教信仰に生きている点だ。
彼がよく使う思想の論理を要約しよう。
「信仰なしに生きていると、人間はこういう生き方・考え方になりますね?」
「これを描いてみましょう。するとこうなります・・・。」
「するとほら、こういう色んなところに自然と無理や矛盾、弱点が出て来てしまうでしょ?」
「矛盾A,B,C,・・・。だから、結局人間はキリストを信じないと救われないですよ・・・」
このように、神を信じないで生きた場合の人間の矛盾性を鋭くえぐり出し、その解決策としてキリスト教信仰を提示しているのだ。
有名な『死に至る病』も、この構造になっている。
この著作のテーマは、私の理解では「理想と現実」だと思う。これはあくまで私なりの理解だ。
神を信じないと、人間は理想に生きるか、現実に生きるか、どちらかしかない。
そして、理想に満ちて生きると、常に自分の現実を否定して生きることになる。
すると、理想に達しなかったときに、現実の壁に打ち砕かれて絶望する。
現実に即して生きると、常に自分の現実を肯定して生きることになる。
すると、現実に埋もれて現状維持的に生きることになるが、この現実がなんらかの困難や苦しみにより壊れてしまったときに絶望する。
結局、理想を求めて生きても、現実に即して生きても、「絶望」のなかにあることは変わりがない。
人生のどこかで破綻が生じてくる。「理想的」も「現実的」も、絶望の二つの形に過ぎないのだ。
この解決としては、理想を求めつつも現実に即して生きる、という絶妙なバランスを保ち続けることだ。
これはいかにして可能なのか。それは「神への信仰による」とキルケゴールは結論する。
神を信じると、「今の自分が神に愛されている」ということで自己を肯定しつつ、「愛されているのだから、神に応えて、神が望むように生きていこう」と理想を求めることができる。
神への信仰こそ、「理想」と「現実」のパラドックスから私達を救うのだ。
信仰において、「死に至る病」である絶望、「理想と現実」の両極性から生じるジレンマから救われて、まっすぐに生きることができる。
『死に至る病』は難しい。まだ私もわからない部分が多い。
しかし、人生の真実をえぐり出して見せてくれる、キルケゴールの鋭い眼光を見ることができる。