日本伝道について⑥ 「神の農夫として生きる」Ⅰ

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「神の農夫」として生きる① 

 

以下、編集長の許可を頂いたので、雑誌に掲載させて頂いた文章を引用する。ご参考にしてください。(なお、筆者は2020年3月に、別府不老町教会から甲府教会に転任しましたので、その点下記とは異なっています)

 

(『舟の右側』2018年10月号 VOL.58より)

 

日本基督教団別府不老町教会は創立1911年で、私は18代目の牧師になります。2008年4月に着任し、今年で11年目を迎えています。私が赴任したとき、教会の状態は決してよいものではありませんでした。


礼拝や祈祷会の後、教会の方とお話したとき、「もう疲れた」という言葉や、過去に起こったいろいろな悲しい出来事への怒りや不満の言葉がよく聞かれました。大体2年間くらい、ずっとこうした言葉が聞こえていたと記憶しています。

 

愛餐会も、多くの方が意欲を失っていたため、教会で行うのをやめて、労力を省くために近隣のホテルでやろうという意見もありました。なにより心が痛んだのは、礼拝の雰囲気が非常に暗かったことです。


私は自分の説教が悪いせいでこんなに空気が悪いのだと思いましたが、後から礼拝の雰囲気というものは教会の歴史の積み重ねからくるものであることがわかりました。

 

 教会に初めて来る方はほとんどおらず、旅行の方々が稀に来会される程度でした。他の礼拝者はほとんどが固定した教会員の方々で、最初は26人くらいのことが多かったのですが、年度の終わりが見え隠れする冬の時期には毎週の出席者が21人程度にまで減ってしまう日も多くありました。

 

 正直、人間的な思いでは状況は絶望的なものでした。人口統計に基づくなら、教会の核である方々がご高齢であったため、10年後に礼拝出席者はどう楽観的に考えても10人台となっているでしょうし、実際的には教会は牧師謝儀さえ支払うことができなくなり、牧師としての私の歩みも、アルバイトなどで生計を立てなくては成立しなくなることが、容易に予想されました。

 

 こういった暗い予測は、夜眠るときにたびたび襲ってきて、寝床のうえで不安や恐れに苛まれることがよくありました。この状況をなんとか打開するための方法論を見出さなくてはならない、と必死で多くの書物を読み、実行可能な施策を実施していきました。

 

 藁にもすがる思いで大きな教会でなされている、「成功事例」のようなプログラムを取り入れてみたりもしましたが、これといってなんの変化もなく、2年間が過ぎ去り、いよいよ「伝道のあがき」もなんの実りも見えないまま、失望や徒労感ばかりが蓄積していきました。

 

 いつだったかよく覚えていませんが、「もう、自分はダメだな」とある日思いました。知恵と力のすべてを振り絞って、自分の若さのすべてを投入したのに、教会の将来を拓くようなことはできず、その道さえも見いだせず、すべてが無に帰していくように思えました。

 

 そこで神様に対して、「もう自分としてはダメなので、後はあなたがお願いします」という祈りをし、自分の思い煩いや無意味感と虚無感のすべてを、胸のうちから神様に向かって手放してしまいました。


すると、不思議とふっきれた思いとなり、久しぶりに平和を味わい、伝道という課題が「他人事」であるような、不思議な印象を抱きました。


「伝道は私の課題という以前に、神の課題である」という思いとなり、心の不要な責任感や重荷が取り除かれました。

 

 ところがその頃から、教会に変化があらわれるようになりました。これは、私の心境の変化によって起こったのではなく、それまで蒔かれていた神の言葉の種が、時が満ちて一斉に「発芽」したのだ、と解釈しています。


それまでは種が蒔かれても、教会という畑の地面の底で根を少しずつ張りながら、じっと時を待っていたので、目に見えてなんの変化も認められなかったのです。「自分がなんとかしなければ」という自己中心の思いが消えたとき、私の努力とは別次元で働いていた神の御言葉の生命力が示されるようになりました。

 

 御言葉の種が発芽すると、目に見えるところで教会に変化が生じ始めました。ちょうど3年目くらいのことです(ずっと後にチャック・スミスという牧師が、赴任した新米牧師に「まず3年間耐え忍び、説教しなさい」と教えていたという話を聞き、なるほどと納得しました)。


どこからともなく、新しい礼拝者がやってきて、共に礼拝するようになりました。私や教会のだれかが「捕らえて」きたのではありません。不思議とその時がくると、導かれてやってきたのです。礼拝しているときの雰囲気も劇的に変わりました。


讃美し、祈り、説教をしているとき、神の臨在の輝きのようなものが会衆を覆っているのが、雰囲気で心に認知できるような、明るいものとなっていきました。

 

3年目、4年目には受洗者、転入会者などが多く与えられ、それまではありえなかったような変化が起こりました。


破綻寸前と思われた教会会計も、不思議と好転しました。こういった教会の新しい成長をどう考えたらよいのかわからないほど、豊かな神の御業が示されていました。教会の百周年記念事業として牧師館・集会室が建築され、ハード面でも変化が明らかとなりました。

 

このような出来事を通して、主イエスのたとえ話の一つが自分の腑に落ちました。


「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである」(マルコ4:26-29)

 

このたとえでは、神の言葉が教会に蒔かれることで、「ひとりでに実を結ぶ」とあります。種を蒔いた「人」は、おそらく種が順調に成長していけるよう、「環境」を整えているに過ぎません。成長するのは、ただ種自身の力によるのです。

 

同じように、主イエス・キリストの教会も神の言葉自身の力によって成長するのであって、私たちはその成長力を阻害したり、ゆがめてしまったりしないように整える「神の農夫」に過ぎない、という理解を抱くようになりました。


新たな収穫を生み出すのは、種自らの力であり、種のうちに大いなる生命力がすでに秘められているのです。「農夫」はこの力が十分に発揮されるよう、環境を整え、成長できる環境を整える奉仕をするに過ぎないのです。

 

 教会は自ら成長し、広がり、信仰において深まっていく生命力を、既に内に抱いています。牧師はその命をさえぎり、押しと止めようとするものを取り除き、より豊かに発展できるよう、世話をします。


説教という最も重要な課題においても、本質は同じです。牧師が説教するのは、ただ教会を愛し、語ることで教会を癒し、救おうとしておられる神の言葉を管理させて頂くに過ぎず、ただ与えられた職務を忠実に果たすことだけが求められているのです。

 

 それまで私が取り組んでいた働きは、「自分主体」のもので、「神主体」ではなかったことに気づきました。あくまで、実際上の鍵を握っているのは人間の能力や「機能するプログラム」であって、これを見つけることが伝道において最も重要であるという勘違いをしていました。

 

 しかし、本当に大事なのは聖書に書かれているように、神の言葉が蒔かれ、これが畑に落ちて発芽し、種自身の生命力が人間の罪や怠慢によって阻害されたり、病んでしまったりすることなく、着実に成長し、収穫をもたらすということでした。


収穫によって増えた「種」をまた新たに畑に蒔くことで、「神の言葉が増え広がる」という主の御業に仕えるのが、牧師と教会の伝道の業です。

 

(次へ続く)




齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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