日本伝道について⑦ 「神の農夫として生きる」Ⅱ

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『舟の右側』2018年10月号 Vol.58より転載

 

(続き)

 

このような理解のもとで、改めて教会形成に従事しましたが、物事はそう容易に運んだりはしませんでした。「収穫の時」が終わると、再び種が畑に潜在して雨を待ちながら発芽に備える「忍耐と労苦」の時が始まりました。


それは、以前とは別の形のものでしたが、より厳しいものでした。「農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです」(ヤコブ5:7)とあるように、収穫を見るためには「忍耐」は避けて通れない道だったのです。

 

 それまでの4年間働き続けてきた疲れや心身の不調などが、各方面に噴き出してきました。精神的には「中年の危機」といわれるような症状となり、知性や心が円滑に働かなくなり、仕事を新たに作ることができなくなりました。


教会では「淡々と礼拝の日々が続いていく」という状況でしたが、燃え尽き感や虚脱感に耐えながら、今後の希望を描くこともできずにそれを回していくというのは、人間的にもひどくこたえる日々でした。

 

 牧師として日曜日、「生きる意味や喜び」を説きながら、週日になると「自分は生きている意味があるのか?」、「そもそもなんで、自分はここにいるのか?」などと誰にとも知れずに問いかけて打ちしおれているのは、滑稽な姿ですが、それが当時のありのままの自分でした。

 

 この状態が、大体4年間ほど続きました。受洗者など信仰の仲間は時々与えられていましたが、行き詰まり感が増幅していき、最後の方は「とにかくこんな状態から解放されたい」という思いと闘うだけで、やっとのことでした。


「どこかに消えてしばらく休むか、まったく別の土地でやり直すかすれば、この苦しみも終わるかもしれない」という考えが何度も脳裏をよぎりましたが、どう信仰的・客観的に考えても、その時辞任などしてしまえば教会は建て上げてきたものを失ってまったくの低迷状態になることが明白だったため、ただ責任感と神様への義務感によって、かろうじて繋ぎとめられている状況でした。

 

 その折りに、2016年4月16日未明、熊本・大分地震の激震が、別府をも襲いました。尋常でない揺れに目を覚ましましたが、窓を開けると街全体が異常な空気に包まれており、叫び声が近くでいくつも聞こえていました。


携帯のアラーム音が鳴り続け、海の方から不気味な地鳴りの音がしていましたが、ニュースでは津波の心配はなさそうだということでしたので、避難はせずに夜を過ごしました。

 

 翌日は朝から晩まで、全国の覚えてくださっている方々から電話がかかりました。非常にありがたい愛と祈りの励ましを頂きましたが、メディアでは南海トラフ地震の噂や、他の地震との更なる連動の可能性など、不穏な空気は収まりませんでした。


礼拝堂を見ると、ほぼ全体にクラックが生じており、その一部は素人の私でも崩落の恐怖を感じるものでした。礼拝堂での礼拝は無理であると判断して、隣接の集会室に礼拝の場を移し、そこで毎週の礼拝を行うこととしました。

 

 ほとんど説教準備もすることができずに日曜日を迎えましたが、なぜか新しい出席者が多くおられました。他教会の方や、海外から帰国して初めて礼拝に出た方もいました。


翌週も、その次の週も、その方々は出席されました。4年間の「労苦と忍耐」の月日を越えて、新たに御言葉の「発芽」の時が始まっていたのです。

 

 築93年になる礼拝堂を「補修」で済ます、という選択肢は考えられませんでした。また、「現状に合っているだけのごく小規模の建物を建てればいい」という考えも、信仰と聖書から判断するなら不可能な道だと思いました。


この度の震災を神からのチャレンジとして受けとめ、この時を通して教会の歴史が前進するように取り組むのが御心にかなうと信じました。


伝道のビジョンを描きながら、教会の将来の可能性を拡げる会堂建築をするべきで、志が縮こまってごく小さな負担だけで済ませるのは結果的に大きなマイナスとなると考えました。

 

 教会懇談会やアンケートの実施、建築委員会での検討を重ねるなかで新会堂のビジョンを明確にしていきました。


そのなかで学ばせられたのは、「会堂」は教会の「衣服」のようなものであり、それが教会の実質であるわけではないですが、同時に教会の本質的な性格をシンボルとして表現する重要なものだ、ということです。


ファッションがその人の人格や内面性を暗示するように、教会堂もまたその教会の内的文化、歴史的風土や霊的性格をシンボルとして表現するものです。

 

 「御言葉が蒔かれ、根を張り、発芽し、成長し、収穫する」という一連の「神の農作業」のダイナミズムが教会の生命の実質ですが、これがある一定の段階に達して、新たに一線を踏み越えて前進するとき、教会の会計や会堂、備品といったハード面までも、更新されるようになります。


会堂や備品といった外的なものは御言葉に比べれば本質的ではないとしても、なお教会の信仰の内容を表現し、地域に対してキリストの香りを放つものとして、伝道の大切な一角を担うものです。


そこで「この地で更に広く、深く伝道していくために」という視点において新会堂も細かく考えて、ビジョンを描き続けました。日本伝道の視点から、納骨室等もよく考えて整備しました。

 

 全国の兄弟姉妹と牧師の先生方の多大なご支援と祈りに励まされて、2018年2月に新会堂が完成し、5月に献堂式をお捧げすることができました。その折りにある方から「会堂が建って、夢がかなうってどういう感じですか」と聞かれましたが、「不思議なくらい冷めていて、他人事の感じがします」と私は正直に答えました。


この答えは奇妙に聞こえるかもしれませんが、実際に夢が実現する時というのは、そういうものだろうな、と思います。


最初は私も「会堂が建ったら、天に昇るような喜びを感じるだろう」と考えていましたが、それは実際にはほんの一瞬だけで、後には「やはり神が働いてくださったのだ」という静かな感慨だけが残りました。

 

新会堂が建つというとき、もちろん牧師には牧師としてするべきことがあり、それぞれ教会員や建築委員会にもするべきことがあります。


しかし、会堂建築もまた、他の教会の課題と同じように牧師や教会員が持っている能力や資質といったことで成就したのではなく、むしろ御言葉の生命力が「旧礼拝堂」という「殻」を突き破って、新会堂へと「発芽」・「成長」を遂げた、ということだと考えています。

 

各人が責任と役割を果たしたから、教会は道を進んでいくことができたわけですが、本当に重要なのはその部分というよりも、現実を変革して約束を実現してくださった神ご自身の御言葉の生命力に他なりません。


会堂建築のひどく忙しい日々の最中にも、「神の農夫として生きる」という信仰の原点を改めて確認させて頂けたことは、大きな恵みでした。

 

「神の農夫」としての働きは、「種蒔き」「忍耐と環境作り」「発芽」「成長」「収穫」という神ご自身の農作業のサイクルに奉仕することです。


この神の御言葉のサイクルが、教会で円滑に、滞ることなく豊かに回ることで、教会は魂の状態も主を知る知識も礼拝者も、また会計や会堂や備品や土地といった課題に至るまで、新たに更新と変化、成長を遂げていくものです。

 

 献堂式を終えた今、教会はほっと一息つくとともに、新たな「忍耐と労苦」の時期が始まっているようにも感じます。


会堂建築をする過程で礼拝出席者は一時増加しましたが、その後の2年間で実に12名もの方々が召天や転出等によって教会を去られました。礼拝出席が40人くらいだった地方の教会にとってこの人数がどれほど大きなものか、ご理解いただけると思います。

 

幸いなことに会堂建築による意見の対立によって去った方は一人もおりませんでしたが、この事業が非常に大きな負担であったことは確かなことです。


また今後の予定では8年程度は借入金返済を行いますが、その間に教会が前進・成長することがないなら、事実上の経済破綻が教会を待ち受けていることにもなります。

 

 しかし、どのような状況に置かれても私たちにできるのは、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(Ⅱテモテ4:1)という主のご命令に従うことだけです。御言葉の生命力が、人間的に見て非常に厳しい状況をも打ち破ってきたのを、これまでの歩みで何度も見せて頂きました。

 

今後どのような厳しい課題がやってきても、「神の農夫」として、「神の農作業」への信頼と奉仕に生きる原則や指針に、変わりはありません。


神の言葉の生命力そのものが、教会のすべての困難と課題に対して、唯一有効な力であり、これが私たちの奉仕を通して顕されていくことで、教会は確かに将来への扉を開かれるのです。

 

(転載終わり)


齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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