当ブログで、まことに僭越ながら、拙著の紹介をさせて頂きたい。
こういったことをすると、「このブログの狙いは、そこにあったのか! 結局金儲けだな」と憤慨される方もおられるかもしれない.
その狙いは、本当のところつい最近までまったくなかった。
ただ素晴らしい神学者や神学書の紹介だけをしていればいいと思っていた。
ところが、最近になって、自ら著書をかなり書いているものだが、恐ろしいくらいに理解されていないことを実感している。
私が書いている意図や基本的な目的と動機さえも、ご理解いただけていないことが圧倒的に多い。
正直あまりの無理解と、あまりに無内容な批判を聴くたびに、心底閉口している。
ご批判頂くことは、私は著者としては当然のことだと考えているものだが、的外れな批判や、基本的意図さえ誤解している批判の場合は、もう答える意欲さえも湧いてこないので、沈黙だけで済ませている。
というのも、そういったご批判をしてくる方々が、私の著書を本当にまじめに読んでくださっていないことは、明らかだからだ。
真剣に読んでいれば、決してありえないはずの批判が多いため、自らの著書の紹介をさせて頂くこととした。
これは、「強いられた恵み」であると、個人的には思っている。
驚かれるかもしれないが、私は目立つことがひどく嫌いな人間だ。
自分の業績をみせびらかすことは、人間として最も嫌いなことの一つであるという信念は今でも変わっていない。
ところが、このような態度でいることで、多くの批判者はつけあがってしまい、私が無知で無害な人間であると錯覚して、見当はずれな批判をしてくる。
これによって、私自身は自らの著書の「説明責任」を果たすよう、神ご自身によって招かれていると、考えざるをえない。
そこで、当ブログで不本意ながら、自らの著書の基本的意図を中心とした紹介をさせていただきたいと思う。
まことに高慢かつ苛立たしい試みだ、と思われている方がおられるかもしれない。
そういう方々は、カテゴリのなかの、このぺージについては閲覧しないようにお願いしたい。
私自身はこのブログで売名行為と思われることはしたくないとずっと考えていた。
拙著のリンクを張っているのも、このブログそのものも、はっきり言えばこれまで、私が思う通りにはほとんど用いられていないと言えるし、私自身の手間や労力、考えるエネルギーの方がはるかにかかっている。
このブログから受け取っている純粋な経済的利益などは、本当に悲しくなるほど微々たるものだ。というよりも、無きに等しい。
このブログを運営しない方が、私は人生を楽しむことができる、と言えるほどなのだ。
しかし、こういった態度のダークサイドにもはや耐えられなくなったので、仕方なく態度を転換して、ここに恥を忍んで書かせて頂くことにする。
これは嘘ではなく、私自身の本音だ。
そういった意図であることをご了解いただき、この「齋藤真行著書紹介」ページにお付き合いいただければ感謝である。
他の神学書の紹介は、今後も読むたびに継続していくので、読んでいただければありがたい。