日本基督教団の特性② 「伝道による一致と合同」

 


日本基督教団の特性として、「教派主義」という観点から考えてみたい。

 

歴史的に日本基督教団は「合同」して成立したものだが、その根は日本伝道初期のキリスト者たちが目指した「公会主義」にある、と考えられる。

 

植村正久はじめ、当時の指導的キリスト者の一部が、「日本のようなキリスト教になじみのない地で伝道していくためには、欧米の教派を移植するのではだめだ。教派の壁や区別をなくし、『公会』ということ一本でいこう」と考えたことによる。

 

これは「聖なる公同の教会」を地で行こうとする、ある意味で非常にロマンに満ちたものだったが、現実の厚い壁に砕かれてしまう。

 

その後も「伝道のために教派の障壁をなくして、合同しよう」という合同運動の機運が何度かに渡って盛り上がるが、そのたびに教派主義の壁によって潰えていた。

 

ところが1941年、戦時中の政府からの圧力によって、それまで求めてきた合同が実現してしまうことになる。

 

これはなんとも皮肉な話のように見えるが、教団は「教憲」の中でこうした歴史的な出来事の背後に、神の導きの御手を認めている。

 

もし、こういった出来事を純粋に「政府による強制」という側面からしか理解しなかったら、戦後教団は完全にあらゆる教派に「分裂」して終わっていただろう。

 

ところが、戦後教団から離脱した教派もあったが、残った教派も多くあった。

 

それは歴史的に「日本伝道のために教派主義を乗り越える」という先人たちの志を継承した教会とキリスト者がいたからにほかならない。

 

戦後離脱せずに残った教派が、日本基督教団という形で現在まで働きを継続してきている。

 

教団にその教会や教派が残っているということは、「日本伝道のためには教派主義を強くしていく路線よりも、一致協力した方がよい」というビジョンを継承・共有している、ということだ。

 

「教派主義」を強めるべきというなら、教団から離脱して他の教派に合流するのが妥当だからだ。

 

以上の経緯からすると、日本基督教団が「合同教会である」ということの意味と背景は、第一義的に「日本伝道のため」である、という理由があることを、忘れるわけにはいかない。

 

「教派主義」が日本伝道のためには「よりメリットが薄い」という認識を共有しているから、「合同」が成り立つのだ。

 

歴史を振り返るなら、教団が「合同」しているのは、「豊かさ」のためではなく、「多様性」のためでもない。

 

もしくは「互いに支え合う」ことさえも、第一の位置を占めてはいない。

 

これらすべては「日本での伝道のため」であって、教団の「合同」自体が先人たちの志と認識によるなら、「伝道のため」にほかならないのだ。

 

別の言い方をするなら、「伝道」という部分での「一致」が教団としてできなくなると、そもそも「合同」の意味もなくなってしまう、ということになる。

 

「伝道のための合同」であって、その逆ではありえないし、また他に合同の目的もないからだ。

 

教団のシステム自体も、「教団の諸教会が日本伝道という点で一致している」という前提でこそ機能するもので、たとえば「もう伝道などはしなくていい」というような意見が重要な会議で通るようになると、もはや「合同」の意義も消えてしまうことになる。

 

教会の役員会、教区の常置委員会、教団の常議委員会などで、「日本伝道のために」という先人たちの志が継承されているうちは、「合同教会」としての力や機能も発揮でき、教団として前進することができる。

 

だが、この点の一致がないなら、教団は歴史的な意味において実質的な解体か分裂、存亡の危機にあるということだ。

 

教会や教区の「個性」的なものはある程度までは当然許容されると思われるし、そこに多様性は当然ある一定の範囲内で認められるだろう。

 

しかし、「日本伝道」という「大義」が「お題目」や「建前」、「定義上の問題」になってしまって実質を失うなら、もはや教団は先人たちがそのために苦闘したような「伝道のために教派主義を乗り越えて一致し、合同した教団」ではなくなっているのだ。

 

この点は、深い熟慮を求められるところだろう。

 

先人たちの志と神学的認識を、新たに受け継いでいきたいものである。



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