日本基督教団の特性③ 「教会関係組織を通しての伝道」


日本基督教団の特性の三番目として、「関係組織を通しての伝道」をあげたい。

 

「関係組織」とは、キリスト教主義学校、キリスト教主義福祉施設、キリスト教主義保育園などを通しての伝道ということだ。

 

これは実践的には、教会関係組織を通して「キリスト教へのアレルギーを取り除く」「受洗者を生み出すために、日本の霊的土壌を改善する」ということを意味している。

 

「教団年間」の最後の部分に、教団と関わりのある組織についての一覧が掲載されているが、その数と多様性は他教派に類を見ないものだ。

 

教団の教会の礼拝出席者数は、必ずしも多くはない。

 

そもそも、都市部にメガ・チャーチを建てる「局所集中型」の教会形成よりも、全国津々浦々に教会を建て、そこで礼拝を守っていくという「全国分散型」の教会形成を取っているため、これは当然の帰結とも言える。

 

ところが、日本基督教団と関わりのある学校や保育園、社会福祉事業に関わっている、キリスト者ではない職員や学生、園児などまで視野を広げると、その伝道的な「裾野」は他教派と比較して、非常に広大なものがあると考えてよいだろう。

 

そこでキリスト教主義のなんらかの教育やサービスを受けることで、教会に対するアレルギーや偏見を取り除かれ、伝道が進展するうえでの土壌が作られていることは、非常に重要な伝道の一部を占めている。

 

日本基督教団の教会は社会的に広いフィールドにまたがる裾野が与えられているという点で、こういった組織を通して地域にアプローチしていく伝道の道がある。

 

これがうまく機能すると、御言葉が広がっていくうえでの大切な拠点となりうる。

 

歴史的にいっても、日本で教会や「キリスト教」というものが認知され、国民に受容されるために、こうした組織が果たした役割には甚大がものがある。

 

これらがなければ、なお多くの日本人は「キリスト教」というものを、「邪教」扱いすることから、抜けることは難しかっただろう。

 

現在の教会が平穏に伝道に従事できるのは、先人たちのこういった分野での働きが極めて大きいという点で、本当にありがたいことだ。

 

一方、別の困難な問題も起こっている。

 

牧師が教会以外の関係組織の「長」(福祉の施設長、幼稚園の園長など)となることで、そちらの組織のマネジメントをはじめとした伝道以外の働きに時間や労力、思考力などを奪われてしまうことがある。

 

すると教会の職務がおそろかになり、結果的に教会の衰退を招いてしまう、という特質もまた、日本基督教団には深く根差していると言える。

 

「キリスト教主義~」という組織や団体が伝道のフィールドとして豊かに与えられているからこそ、教会や牧師とこういった施設との関係性はどうあるべきかについて、確かな神学的な吟味もまた必要とされている。

 

少なくとも、教会関係組織を通しての伝道は、直接的に洗礼に結びつくものというよりも、現実的にはそこで働いている職員や園児などはキリスト者ではないことが多いため、「土壌改善」の働きに留まることが実際的に多いことについては、しっかりと考えなくてはならない。

 

特に現在では、こういった全国のキリスト教主義組織において「キリスト者のリーダーや職員」がいなくなり、「キリスト教主義の理念」を存続することが困難となる、という事例が相次いでいる。

 

こういった組織の長をつとめることができる専門知識のある信徒がおらず、牧師がやむをえず長にならざるをえない事例も多い。

 

日本基督教団の特性として与えられている豊かな可能性である関係組織が、存続困難になることでかえって教会との関係性に課題を生じさせる、ということも生じうる。

 

結局のところ、「教会が受洗者を生み出し、こういった人々が関係組織で働くようになり、その人々の働きと証しによってまた受洗者が生まれる」というのが理想像であり、伝道の好循環となる教会と関係組織の関係の青写真だ。

 

ところが、現実的には「教会が受洗者を生み出せず、キリスト者ではない人々が関係組織で増えていき、結果組織も理念を希薄化していき、それを収拾するために牧師が組織の長となり、意識が教会の職務から離れ、教会が衰退していく」というのがよく起こっている事例だ。

 

「教会関係組織」である以上、やはりそこでの「キリスト教主義の理念」の鍵を握っているのは教会なのだ。

 

教会が伝道し、受洗者を生み出すことがなくては、どのように応急手当を試みても、最終的には機能不全となり、やがてまったく理念を失って世俗化した組織と、衰退しきった教会だけが残されることになる。

 

マイナス面にずいぶん触れてしまったが、この部分は日本基督教団の伝道の特性上、非常に重要かつ可能性に満ちたものでありながら、今現在は課題となってしまっているという点で、深く理解しなおし、悔い改めて取り組んでいくべき、最も大きなところだろう。

 

「教会が受洗者を生み出す」ということが、こういった関係組織での伝道が機能するうえでの前提である以上、最終的にはこの領域においても小手先の技術や応急処置ではなく、教会が御言葉を広げる働きを全力で推進すること以外に救いはないことを、心に刻みたい。




齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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