齋藤真行著書紹介③ 『光なき時も ~聖書が語る苦しみの日の慰め~』の意図


タイトルの著書は、多くのキリスト者の方々にも、そうでない方々にも歓迎していただき、個人的には相当の方々に読んでいただいたと、本当に感謝している。

 

この著書の執筆動機は、リーマン・ショックや東日本大震災などの、人知で操作できない巨大な苦しみを見たことにある。

 

苦しんで死んでいく人々を見て、自分が本当にできることについて、神に祈り、問いかけていた。

 

ボランティアとして駆け付けたり、自分の持っているお金を献金することも、もちろん考えたが、これらは自分にできる最善のことではないと思った(もちろんささやかなことでも、可能なことは行ったが)。

 

私は地方教会の牧師であり、幼い子供を養うべき父親であり、お金はいくらあっても足りない状態であるのに、教会は慢性的な財政危機続きだった。

 

同時に、そういった教会を導いていくだけで疲れ果ててしまうほどエネルギーを注いでいたので、震災支援といった領域で私ができることは、限定的で些細なものにすぎないと思えた。

 

そんな折に、サッカーの長友選手が東日本大震災のただなかで、「自分としてはサッカーの試合でよいプレーをすることで、苦しんでいる人を勇気づけたり、励ましたりできればと思う」という主旨の言葉を聞き、深く心を打たれた。

 

「そうか、自分にできる最善のことをすれば、それでいいのだ」という考えが与えられ、「自分としては聖書の言葉を解き明かすことが、できる最善のことだから、そういった本を書くことで苦しんでいる方々に、聖書の慰めを伝えることに集中しよう」と考えた。

 

それで生まれたのがこの著書である。

 

書いているときは、とにかくしんどかった。理由はよくわからなかったが、恐ろしいばかりの重圧が毎日のしかかってきた。

 

おそらく苦しみの状況に対する共感を維持したまま、聖書を説くことの厳しさだろう。

 

お読みになった方はほぼおわかりになると思うが、この著書は私たちが人生で遭遇する「限界状況」「極限状況」と言えるところに置かれたとき、聖書がどんな言葉を語るのか、という視点で、創世記から黙示録まで聖書箇所を選択的に取り上げて、ごく短い言葉で解き明かしたものだ。

 

詩のような文体を採用したのは、言うまでもなく苦しんでいる方々は文字を読む気力も湧かないほど弱っており、本に視線を固定することも疲労を覚えることがほとんどであるため、文字数を少なくして、フォントを大きくすることは、そういった役割を果たす著書として絶対の条件であることを承知していたからだ。

 

結果的に、震災で苦しむ方々ばかりでなく、特に病気や人生の挫折の渦中にある方々に読んでいただき、著者としては大変ありがたいものだった。

 

この著書は以上のような動機で書かれているため、おそらく「限界状況」「極限状況」を深く味わっている方ほど、本書のメッセージに高い共感性を示してくれることが、私には経験的にわかっている。

 

逆に、ある程度以上にこの世的に「幸せ」な人生を生きている方ほど、本書を素通りする傾向があることも知っている。

 

それは、その人々の状況が本書を「必要としていないから」だ。

 

そして、それは幸いなことだと思う。本書を読まなくて済むなら、その方がずっとよい。必要としたときに、思い出していただければ、著者としては満足だ。

 

とにもかくにも、本書は今後も、苦しみ悩み、人生の挫折や極限状況にある方々の歩みのうえに、ごく小さなものでも聖書が示す希望の灯がともるために、用いられることがあれば、書かせていただいた者として大変幸せである。

齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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