日本伝道について⑭ 1995年「以前と以降」の伝道 Ⅰ「情報革命と伝道」

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日本基督教団の教勢は、1995年で頭打ちとなり、そこから今日に至るまで、減少に転じている。

 

個人的に、この事実に象徴的な「なにか」をずっと感じていた。

 

1995年について調べていくなかで、少しずつ言語化できてきたものがあるため、記してみる。

 

1995年には、「以前」と「以降」を画する、いくつかの象徴的な事件が起こっている。

 

そのなかの一つとして、「情報革命の進展」を挙げてみたい。

 

1995年に「ウインドウズ95」が発売されたが、私自身はそれがなんなのか、当時まったくわからなかった。

 

大人たちがなんだかやけに熱狂しているが、よくわからない、というくらいの記憶として残っている。

 

ウインドウズ95は「マックのパクリだ」と言われたりもするが、どちらにしても情報革命の「大衆化」への重大な一歩となったのは確かだろう。

 

いま考えてみると、あのときから情報革命は一部の人間から、大多数の人々へと加速度的に広まっていったように思える。

 

それまでは、大多数の人にとってパソコンというもの自体が「生活の一部」とは到底言えなかったと思う。

 

少なくとも、若者はPCはほとんど持ってはいなかった。

 

ところが、それ以降のわずか10~20年足らずで、パソコンやネットは「それなくしては現代の生活が成り立ちにくい」といえるくらいのものにまで発展した。

 

わずかな時間で、ここまで世界が変わってしまった事例というのは、歴史的にも珍しいのではないかと感じる。

 

つまり、1995~2010年くらいの間のごくわずかな時間で、「圧倒的かつ不可逆な社会的な変化が生じた」ということが、少なくとも言えるのだ。

 

いま生まれてくる子どもたちにとってネットやPCは当たり前の存在だが、「デジタルネイティブ」以前の世代の方々にとっては、こうしたものはなおよくわからないものにとどまっている場合が多いだろう。

 

ところで、「PCやネットが生活必需品になった」時代にあって、「伝道」ということからすると、なにが言えるだろうか。

 

1995年以前の世界では、お店が集客するときは、「チラシの頒布・折り込み広告・ポスティング・広告掲載」などが主たる手段だっただろう。

 

教会での「伝道」といえば、「伝道集会・伝道礼拝・青年キャンプ・家庭集会」など、「フェイストゥフェイス」のものだったし、これらでしか伝道などできはしなかった。

 

また、これらのやり方で、事実教会は成長してくることができたのだ。

 

しかし、「以降」の世界では「ソーシャルメディア・ネット広告・動画によるアピール」など、ネットを介した伝道が可能となっているし、ある程度若年の世代になると、こちらの形でのアピールしか受け付けない。

 

平たく言って、今はポストに入っていたチラシはすぐに捨てるが、ネットによるアピールだと読むこともある、という時代なのだ。

 

教会においても、今後可能性があるのは「SNS・動画・ブログ・ホームページ」など、ウェブを介した活用した伝道になっていると言える。

 

「教会の牧師・信徒のブロガー・ユーチューバー」や、「教会独自のソーシャル・サービスの立ち上げ」などの新しい「ウェブ伝道」の試みがぜひとも必要とされているし、これらにこそ今後の伝道の可能性がある。

 

福音を怪しまれることなくアピールすることができる領域は、いまや「リアル」から「ウェブ」にどんどん移行しており、その度合いは今後増すばかりなのだ。

 

「リアル」での信用度の方が、むしろ実際的には落ちてきていると言える。

 

「道端で渡されたチラシ」と、「ネットで見つけたアピール」の信用度が、「1995」を境に逆転し始めた、と言えるのではないだろうか。

 

いまや、若年世代の多くの人にとっては、「リアル世界で渡されたもの」の方が、かえって不信感を持ちやすいのではないか。

 

というのも、ネットの世界では、「自分に必要と思われない情報」はただ見ないか、削除すればいいだけのことなので、「リスクが少なくて済む」という意識があるからだ。

 

リアル世界では自分の身体を場所に運ぶという点では、「よくわからない場所に誘われる」ことは、「リスク」以外のなにものでもないと感じる。

 

しかし、教会は「1995以前」においては曲りなりにも成長してきたということもあって、

 

「1995年以前」の考え方で、そのまま今の時代も伝道が可能と考えてしまっていることはないだろうか。

 

1995年以前の考え方・やり方をいまもなお大枠において続けながら、「なぜ教会に人が来ないのか」と悩んでいないだろうか。

 

「時代が情報革命において、根本的に変わったのだから、それに伴って伝道の在り方をも変えなくてはならない」ことを、どれほど教会は真摯に受けとめているだろうか。

 

「より若い世代に教会にきてほしい」と言いつつも、「ネットはけしからん」というのは、原理的に不可能なのだ。

 

1995年、ウインドウズ95の年に、日本基督教団は衰退をし始めた。

 

これはある意味では、シンボルというばかりでなく、実践的な課題をも含んでいる。

 

もし私たちがネットをまったくなしにしてでも、伝道が可能であると考えているなら、いまなお「1995以前」の問題圏のなかにいるのかもしれない。

 

そして、「問題・課題」がどこにあるのか、それを見つけることができていないとするなら、それらを「解決」することは、前提からして無理と言える。

 

私たちはまずは、伝道の「前提」の部分に乗らなくてはならない。

 

その前提とは、「1995以降は、ネットを抜きにして伝道はできない」ということなのだ。

 

コロナウイルスにより、多くの教会でオンライン礼拝が始まっているのは喜ばしいことだが、それだけに飽き足りることなく、ITを介しての革新的な伝道の試みが教会の牧師・信徒から次々に起こされていくことを、願ってやまない。

 

 


齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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