日本伝道の病巣② 「回顧主義」

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日本伝道の病巣の第二として、「回顧主義」を挙げたい。

 

これは私の個人的造語だが、教会形成や教会の今後を考えるとき、常に過去を回顧して「あのときこうだったから、これからもこうしよう」という形で、「過去」を判断の根拠や基準とする思考法全般のことだ。

 

これは「個人バージョン」と「教会バージョン」がある。

 

「個人バージョン」では、「個人史において自分が最も愛着を抱いている教会や牧師の有様を、現在の教会に無批判的に適用する」在り方になる。

 

つまり、「私が以前、教会生活をしていたところでは、こういったやり方がなされていた。牧師はこういうことをおっしゃっていた。だから、今の教会も、そのようにするべきだ」ということだ。

 

「教会バージョン」では、「過去の教会ではこういった前例や慣例だったから、今後もそうするべきだ」「先代の牧師はこういったやり方をしていたから、現在の牧師もそうするべきだ」という思考法だ。

 

この思考法だと、教会の有様ややり方について、「過去の保存と延長」をしていく、ということになる。

 

なぜこの思考法が「伝道を妨げる病巣」となるのか。

 

それは、「周囲の時代や環境、人々の精神性は激変を続けている」のに、教会は旧態依然とした古い、機能しないやり方に固執し続け、結果的に「環境や時代、人々の精神性への永続的不適応状態」になる、ということだ。

 

おそらく、多くの教会の役員会の平均年齢は、70代~80代のところが多いのではないかと思う。

 

そういった役員会がなんらかの判断を下すというとき、多くの役員は教会の過去について多くの思い出を抱いているため、当然「回顧主義的」にならざるをえない。

 

「あのときは~、自分がいた教会では~というやり方によってうまくいっていた」という根拠によって、「だから、この教会も今後、こうするべきだ」という結論となる。

 

ところが、多くの人が考えている「あのとき有効だったやり方」は、現在においては「まったく有効性を失っている」ものが、ほとんどなのではないだろうか。

 

「あのとき」のやり方は、おそらく「数十年前の教会的成功体験」からくるものだが、それは現代ではもはや過去に属しており、現代のコンテクストでは機能しないものとなっている。

 

もし有効性があるとするなら、そのやり方で現代の教会も成長しているはずだし、うまくっているはずだからだ。

 

そうでないとするなら、「過去のやり方はもはや、機能しない」という重大な事実に直面しなくてはならない。

 

牧師や役員が「回顧主義」で教会形成をする限り、基本的にその教会は時代状況に対してほぼ永続的に不適応状態を脱することができなくなる。

 

「恐ろしいばかりの世代間ギャップ」があることを自覚せずに、「過去の保存と延長」ばかりを続ける教会が、明るい将来へと前進することはほぼ困難であると言わざるを得ないだろう。

 

問題は、やはり「回顧主義」という思考法にある。

 

教会が向き合っている課題は「過去」ではなく「現在」であり、そこから神が将来を創造してくださることを待ち望んでいる。

 

つまり、「過去」はあくまで「参考データ」であって、「判断の根拠や基準」では、決してあってはならないのだ。

 

これは非常に重要な違いだ。

 

つまり「過去のやり方」に言及することによっては、その牧師や役員は今後の方向性について、基本的に「なにも言ってはいない」のだ。

 

ごく小さな「参考資料」を挙げているに過ぎない。

 

それにもかかわらず、これを「根拠・基準」として「今後の教会形成」を論じるところに、そもそも重大な「時代錯誤」と「状況齟齬」が生じ、伝道が停滞する原因がある。

 

「今とこれから」の教会を考えるためには、ある意味牧師も役員も、「過去はどうだった、こうだった」という話をまったく留保し、「脇へ置く」態度が要請されるのだ。

 

先ほど述べたように、「過去」はもはや有効性を失っているからだ。過去が有効であるなら、現在の教会は危機的状態になど、なってはいない。

 

過去は脇へ置き、ある意味では牧師も役員も「徒手空拳」の状態で、「無知の知」をはっきりと胸に抱きながら置かれている状況を学び、それへの有効な道筋を祈り求めていかなくてはならないのだ。

 

そういう意味で、現代は「ベテラン」の牧師も、「ごく若い牧師」も共に同じレベルの困難を背負っている。

 

経験や知識のある牧師が教会に赴任したからといって、その教会が立ち直ることができるわけではない。

 

また、新米の牧師だからといって、有効な働きを見出すことができないわけではないし、ベテランの牧師以上の働きをする大きな可能性がある。

 

その逆もまた、然りだ。

 

この冷厳な事実に、牧師と役員会が直面しつつ耐え忍び、これを乗り越えていく教会だけが、おそらく今後20年は続くと思われる、恐ろしく危機的な時代を貫いて生きることができるだろう。

 

「過去には、もはや答えはない」ことを自覚し、なお「過去のヒントと物語を継承しつつ、これらを明日の物語へと昇華する」ことが、今の教会に求められていることだ。

 

ウイリアム・スティルが記した『牧師の仕事』(松谷好明訳 いのちのことば社)という大変すばらしい本がある。

 

この本の後半に、教会や伝道の在り方が「回顧主義」になっていることへの、ユーモアと皮肉を交えた歴史的な記述があるが、強く心が打たれるものなので、ぜひお読みいただきたい。


齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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