教会役員会の課題について、色々と書いてみたいと思う。
その第一回として、教会役員会の「世代層」について触れてみたい。
ひとつの例として、選挙を考えてみたい。
ある国民が政治家を選ぶとき、世代によって投票率が異なる。
日本では若年層の投票率が非常に低いことが、大きな課題となっている。
たとえば、70代の人々が最も投票率が高く、政局を左右する力があるとすると、選ばれる政治家は当然「70代の人々の利権」を守ることを優先する政治を考えようとする。
自分を応援してくれる世代の人々を優遇しようとするのは、政治家としては当然のことだ。
政治家は特定の「支持者たち」の利権を代表して選ばれるため、その層が最も厚いところを最も優先的に考える。
すると、国家運営をするとき、当然限られた資源を動かすわけであるから、「70代」の人々により資源が動き、投票率が低い若年層にはより少なくしか資源が届かなくなることになる。
こうして、より若者に風当たりが厳しい国になっていく。
これと似たようなことが、教会役員会でも起こっている。
教会自体が高齢化しているため当然といえば当然だが、教会の役員に選ばれる人々はどの教会でもかなり高齢である場合が多い。
教会役員がみな高齢者であるなら、無意識的にも「高齢者にとって居心地がよい教会」を目指していくことになる。
高齢者が役員会で発言する以上、自らの世代の常識や価値観、判断基準や期待などを発言し、結果的に高齢者にとって最もやりやすく、居心地がよい状態に教会全体を持っていかざるをえない。
そして、「高齢者にとって居心地のよい教会」は、「若者にとっては居心地がよくない教会」でありうる。
「高齢者がやりやすい教会」は「若者がやりにくい教会」でありうる。
若者が好むような集会は役員会で否決され、若者への伝道を優先するような発言も封じられるようになりうる。
現実的に多くのキリスト者が「自己中心性」から抜け出ることができず、想像力も乏しいとするなら、「教会役員会の世代層が高齢層である」という事実だけで、「青年伝道」や「若者にとって居心地がよい教会を目指す」ことはかなり困難になる。
「若者にとっての居心地のよさ」は「高齢者にとっての居心地の悪さ」につながり、役員会で前者を優先しようとする意見は通りにくいからだ。
「若者に教会に来てほしい」
「青年伝道に全力を傾けなくては」
こういったことが「絵に描いた餅」に終わりがちになる現実的な要因は、「教会形成に従事する役員会の世代層が高齢世代であるため」という単純な事実によるところが大きいと思われる。
「最近の若者は・・・」という言葉は古代エジプトの石碑にも書かれているそうだが、「世代間ギャップ」の課題は教会で非常に重要かつ大きなものだ。
「バブル」を働き盛りのころに体験した世代と、働き始めるときに「就職氷河期」を体験した世代では、お金やこの世的な価値観も非常に大きく異なっており、その人生のベクトルは非常に大きな「ズレ」がある。
高齢世代が熱心に教会を支えてくださっていることは大変ありがたいもので、もしこの世代の方々が教会を支えないとするなら、もはや日本の教会全体は完全に崩壊する以外にないだろう。
それほど、この世代の方々の献身や奉仕は大きく尊いものだ。
一方、その避けることができない負の側面として、「若者に居心地のよくない教会形成」をし続けてはいないか、「若者に来てほしい」と言いつつも現実的には自らのやり方に固執することで遠ざけているのではないか、ということについて、自覚を促されていることも確かであろう。
具体的な対策としては、教会役員会に少数名でも「若年世代」が選ばれるよう、教会全体で意識していくことだろう。
若者の思いや悩みは、比較的にでも近い世代でなくては理解しがたいものだ。
少なくとも「もっと若者に居心地のよい教会形成を」という意見が出てきたとき、高齢世代の価値観によってそれが容易につぶされるようなことがないためには、教会役員に少しでもその世代の「代弁者」「弁護者」が必要である、ということだ。
そうでないなら、無意識的に若者を教会から遠ざけながら、「もっと若者に来てほしい」という不合理なジレンマから教会が解放されるのは、極めて難しいことになるだろう。