主として自分自身の性格特性に対する自戒のために書いたもの。
「~だから愛することはできない」という「愛さない理由」をあげていると、
結局のところ誰をも愛することができない、という内容。
文章のもとになっているのは、
個人的にキリスト者として理想的な人間像だと思っている『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)の「ゾシマ長老」が語った、「罪人を罪あるがままに愛しなさい」に基づいている。
自分自身はそういった境地にはほど遠いばかりか、こういった基本的なことをすぐに忘却する者であるため、
原点を思い出すために記した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人は皆、罪人であるから、
私が愛する人も罪人に他ならない。
だから私が愛する人は、
私の思い通りにならないかもしれない。
私を愛さないかもしれない。
私を理解しないかもしれない。
私を裏切るかもしれない。
私の期待に応えないかもしれない。
私が望むようには変わらないかもしれない。
私を見捨てるかもしれない。
たとえ、そうだとしても
それでも私がその人を愛さないというなら、
私はきっと、どんな人をも愛することはできない。
人は皆、罪人であるから、
私が愛するどんな人も、罪人に他ならない。
ただ、イエス・キリストをのぞいては、
私が安んじて愛せる人などいない。
罪人を罪のゆえに愛さないというなら、
私はきっと、永遠に誰をも愛することはできない。