カール・バルト 「神学的爆弾」としての『ローマ書講解』

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カール・バルトの『ローマ書講解』は、当時の神学界を激震させた神学的な「爆弾的著作」として有名だ。

 

ある牧師は、「あれはドイツ語で読まないとわからない」と言っておられた。

 

そのことの意味は、原文だと恐ろしいほど歯切れのよいぶつ切りの、震撼させるような文体で書かれているということだ。


日本語だと、この全身を震わせるような響きが、表現しにくい。

 

この本は、ドラムを激しく打ちたたく、熱狂したドラマーの演奏のような響きがする。

 

おそらく、「なんかあの本はすごい」というような噂をだれかから聞いて、「よし、読んでみよう」と思うのが、普通の入り方だと思う。

 

ところが、読んでみると、一体なにを言いたいのか、さっぱりわからない。


しかし「でもなんか受ける印象が激しくて、すごいぞ」というような感じで読み進める。

 

ある程度読むと、この本がもたらす「ものすごい響き」はわかるが、肝心なその「意味」がよくわからないまま、「疲れた。もう読めない」となる人が多い。

 

『ローマ書講解』の意味を少しだけ書こう。

 

この本は要するに、以下のことを言っている。


「神と人間はまったく違う!」


「神の前に人間は虫けらみたいなものだ!」


「『私は神を信じてますけど』というそこのあなた! あなたもそうなんですよ!」


「結局人間は徹底的にだめなんです!」


「そんなどうしようもない人間だからキリストが来てくださった!」


「そして、そんな人間だから、キリストを信じる以外にない!」


これを恐るべき思考力をもって、聖書に即してさまざまに展開しているのだ。


背景としては、「神を人間に身近な存在・人間をサポートする存在・人間の文化を助ける存在」として考える神学の存在がある。


いわゆる、「自由主義神学」だ。バルトも以前は、この一員だった。

 

ところが、第一次世界大戦で、自分が習った先生が皆この戦争を支持するのを見て、「この神学じゃだめだ!」とそこから抜け出て、ひたすら聖書を読んだ。

 

すると、そこに「まったく新しい、異なる世界の響き」をバルトは聞いたのだ。


これを表現しようと、万感の思いを込めて書いたのが『ローマ書講解』ということになる。

 

「人間が神を飼い慣らそうとする。神を人間の所有物にしようとする」という傾向が、自由主義神学にはあった。


「神は人間の自由になどならない。神は天にいますが、私たちは地上にいるから」と、彼はこの本で叫んでいる。


バルトは、この傾向に対して爆弾を投げ込んで、破壊しようとしたのだ。


実際、多大な影響を与えてかなり破壊できた面があったと思う。

 

神学に興味のある方なら、ぜひチャレンジしてほしい本である。これを読むのは貴重な経験になる。

 

しかし、「ひどく骨が折れる」ことは、前もって申し上げたい。



齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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