プロテスタンティズムの独自性⑥ 「ハタから見る」ことで改革は可能か?


「宗教改革500年」の記念の続きだと思われるが、『宗教改革2.0へ』(松谷信司編・著)という書物が出版されている。

 

この書物のなかには、牧師やキリスト者、キリスト者ではないが教会とのかかわりが深い著名人などが、率直に教会の印象や疑問点などについて忌憚なく書かれている。

 

各自の視点から、今の教会の弱点や、なぜ教会は衰退しているのかなどについて分析されており、多様な理解を知ることができて、書物としておもしろい。

 

多くの日本社会での、教会へのまなざしの一部がスケッチされており、これから教会がどういう人々に伝道していくのかを知るという点でも、学ぶべき有益なところがある。

 

ただ、一点だけこの書物が根本的な誤解を招く恐れが大きいことについてだけは、触れてみたいと思い、ブログに書いてみることとした。

 

それは、表題の「宗教改革2.0」ということについてだ。

 

本書のコンセプトでは、「これから必要な宗教改革」とは、「教会の外部や、キリスト者ではないが教会との関わりがある人々が教会をどう考えているのか、なにが必要なのか、という視点から宗教を改革すべきであり、それをすることによってキリスト教も伸びるようになる可能性が高い」ということだ。

 

このような視点から、18人の著名な方々の教会へのアドバイスや、批判点などを記している。

 

「根本的な誤解」とは、「宗教改革は、人間の言葉によってなされるものである」ということだ。

 

もっというと、「宗教改革は、教会の外部の言葉によって可能である」という誤解だ。

 

これについて、思い出したことがある。

 

サドルバック教会のリック・ウォレン牧師が、自分たちのやっていることは「第二次宗教改革である」と語っている下記の記事を、以前ネットで見つけた。

 

ウォレン牧師はこう語っている。

 

「私は第二の宗教改革を期待している。500 年前の教会の最初の宗教改革は信条に ついてのことだった。


次のものは行動についてのものとなる。 最初のものは教義 (creeds) についてのものだった。


次のものは行い (deeds) についてのものだ。


これ は教会が何を信じるかということ ではなく、教会が何をするかということに関する も の と な る 」

 

Myths of the Modern Mega-Church,” May 23, 2005

 引用:http://www.adullamgospelchurch.com/media/articles/rick-and-the-emerging-church/

 

以上の記事でウォレン牧師は、「第二次宗教改革」とは「行い」についてのものである、と宣言している。

 

そして、この思想の背景にあるのはピーター・ドラッカーの『マネジメント』の思想であり、経営学のコンセプトに基づく教会形成だ。

 

ウォレン牧師にとっての「第二次宗教改革」も、「ドラッカー思想という教会外部の言葉」によるものであり、この視点からすると、従来の教会の在り方全体は、ウォレン牧師にとってトータルに気に食わないものとなるため、「第二次宗教改革が必要だし、期待する」ということになる。

 

そして、本書の「宗教改革2.0」も、どちらかというと教会外部の言葉によって教会のおかしいなところを正していこう、というモチベーションに貫かれている。

 

その点について、両者は共通しているのだ。


「時代遅れとなった教会の在り方や運営のやり方を、現代的な教会外の人々の言葉や意識によって改革しよう」ということだ。

 

しかし、本来的な意味での「改革」とは、あくまで「神の言葉によって改革され続ける教会」ということであり、「教会の外部の人々の言葉によって改革される教会」というコンセプトは、少なくともこれまでの教会の伝統には存在しないと言える。

 

もちろん、教会は教会外の思想や哲学などの用語やコンセプトを受け入れながら、自らの宣教の業を豊かにしてきた。


だから、そういった思想に学び続けることは、当然要請される。

 

しかし、そういった言葉によって教会が「改革」されてしまうなら、それは教会の生命にも多大なリスクをもたらす可能性が大きくはないだろうか。

 

たとえばだが、古代教会の大きな脅威となった「グノーシス主義」は、「プラトン主義という教会外の言葉による宗教改革」だったと言えるのではないか。

 

なにが言いたいのかというと、「教会外部の言葉」による改革というのは、それが聖書とはバッティングする異質な部分が必ず含まれるため、「教会の本質部分にまで決して徹底してはならない」、ということであり、慎重な批判精神なくしてはそれさえも不可能であるということだ。

 

あくまで、教会の形式や運営のやり方など、周縁的なところや方法などに、程度をわきまえて行うことは可能であるが、それ以上は控えないといけない。


「線引き」「見極め」「本質の区別」が非常に重要な課題となる。

 

本質部分までこれをしてしまうと、もはや教会としての最も基本的なアイデンティティまで変質してしまい、実質上の教会のこの世への解消となるか、教会の内容的な変質となってしまう。

 

もちろん、表題の書はそんなことまで考えているものではない。


教会が現状から改善されて時代に対してフィットした、より多くの人にアピールするものとなるために、各方面からの提言をしているのだ。

 

ただ、内容がそういうことであるなら、表題の『宗教改革2.0へ』というものは、表題として不適切ではないかと思われる。

 

本書が描く教会の外部の人々の言葉によって教会が改革されるような意味での「宗教改革」は、聖書的・神学的な「御言葉による教会改革」ではないからだ。


このベクトルはあくまで、より常識的・人間的・組織的なレベルで、教会を時代に釣り合ったものにしよう、ということだ。

 

内容的には「宗教改革」ではなく、『ハタから教会を見た人々からの、教会への忌憚のない直言』となっている。

 

こういったことが「宗教改革となりうる」という誤解が広がるのは、教会にとっては実質的に大きなマイナスとなることは、はっきり記しておきたい。

 

教会の生命は、御言葉によって教会に内住してくださるイエス・キリストによって定まるものであるため、本書が描くような視点での「宗教改革」によって教会の苦境が脱せられ得るというのは現実には無理であると、考える。

 

ほかにも、「ハタから」というとき、「なぜ出てくるのが著名人ばかりで、より一般的な人は出てこないのか」など疑問はあるが、ここには根本のところを書かせて頂いた。

 

本書に書かれている情報や知識は、有益なものが多く、ひとつの問題提起として聞くべきものが多いので、ぜひ下記の書物をお読み頂きたい。いろいろと、今後のことを考えるうえでヒントになる刺激が多いことは、確かである。

 

 

 

齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

https://www.youtube.com/@user-bb1is6oq4x/featured

人気の投稿

☆神学者・テーマ一覧