プロテスタンティズムの独自性② 「宗教改革500年」をめぐってⅡ

 

宗教改革500年 今後の教会の夢を描く

 

宗教改革500年を記念するというときには、当然宗教改革の歴史を思い起こすということが、大事な課題になる。


これにしっかり取り組まないと、「記念」の意味もないだろう。

 

ただ、ひとつ懸念がある。教会の「記念史」を作るときにも起こりがちなのだが、「記念」となると、どうしても「過去の話題に集中してしまう」ということだ。

 

「宗教改革とはなんだったのか」を掘り起こすことは大切だが、教会の今後の歩みのためには「なんのために掘り起こすのか」という点の方がさらに重要だ。

 

「プロテスタント教会の「今」と「将来」に対して、宗教改革が持っている意義」を問い直すことがないなら、「記念」は単なる「回顧」に終わってしまう。

 

宗教改革の「歴史的意義」を受けとめるだけでなく、「現在的意義」と「将来的意義」を見出すことにならないなら、「プロテスタントも、昔はよかったが、今は弱体化していくだけだ」という苦々しい思いを味わうことにもなりかねない。

 

アカデミックな立場から宗教改革の歴史を掘り起こす作業は、神学教師の先生たちがすばらしい働きをしてくださると信頼している。


きっと、宗教改革の歴史的意義について新たに研究してくださり、多くの新しい知識と認識をお教えくださるだろう。

 

だが、それをどう「現在」と「将来」に展開していくかという課題は、むしろ教会の牧会の現場で労する牧師の責任ではないかと思う。

 

アカデミックな立場からは、客観性や正確さを重んじるため、現在や将来の課題まで論じることが難しい。


「夢を描く」ことなら、なおさらだ。

 

アカデミックな「宗教改革論」が進むことができる地点から、さらに遠く、さらに深く広く現在と将来の地平へ実践的に展開することがないと、教会の今後の歩みにとっての意義は薄くなってしまう。

 

「宗教改革を受け継ぎ、それに基づいて今後の教会の夢を描く」必要がある。

 

宗教改革500年の営みを通して、「過去の回顧」をふまえたうえで、「プロテスタント教会の現在の課題への具体的提言と将来への希望」にまで展開されていくことをお祈りしたい。


齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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