「日本伝道」という課題について、「根幹」の部分を書かせて頂く。
自分自身が伝道牧会の現場で、多くの教会の実態を見聞きするなかで、痛切に感じていることを、いくつか共有したい。
「日本伝道の根幹」というタイトルの意味は、「最も基礎的な課題であり、それが危うくなるなら、日本伝道自体が危機的なものになる」という生命線に関わる、実践的な課題ということだ。
その第一として、「堅実に職務を果たす牧師が起こされ続ける」ことを挙げたい。
これは、日本伝道を進めていくうえで、「絶対的な前提」であると言える。
このことの理解のために、地方の教会でよくある事例を、以下に素描してみよう。
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ある教会に新任の若い牧師が赴任してくる。
その教会は人数も減り、やる気もなくなり、非常にまずい状態になってしまっている。
ところが、赴任してきたその牧師は血気盛んで、若い力に満ちており、職務を果たす力においても優れていた。
その牧師があれこれと模索して、献身的に教会形成した結果、教会は立ち直り、人数も増え、霊的にもおおいに成長した。
その牧師は、30年間の働きをその教会に捧げ、礼拝出席も100名を超えるようになり、その地方で最も大きく力のある教会の一つに成長した。
牧師は隠退して、後任に教会の職務をゆだねた。
次に赴任してきた牧師は、前任の牧師とは考え方も世代もまったく異なっており、献身の情熱も先代の牧師ほどではなく、教会形成よりも自分の人生を楽しむことを、より優先して考えるようなところもあった。
その牧師が職務に従事するなかで、教会にはこれまでなかったようないろいろな課題が起こるようになり、次第に教勢も落ちていった。
10年後、その教会の人数はほぼ半数に減ってしまった。
牧師はその教会の居心地が悪くなったことを実感して、他の教会に転任していった。
その次に来た牧師は、教会への情熱や志という面で、更に「現代風の考え方」をしており、自分の趣味や生活の満足の方に人生の意義を見出すことに熱心だった。
さらに教会形成については「可能な限り波風立たせずに平穏を保ちながら運営し、現状維持ができればいい」という考えだった。
こういった考え方では、現状維持さえできず、5年後には30人前後にまで礼拝出席は減っていき、教会員の失望は甚だしいものがあった。
その牧師は役員会で「自分の責任なので」と言って転任していき、意気阻喪した教会があとに残った。
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以上の例では30年かけて先代の牧師が生命を賭して築かれたものが、わずか15年でまた「振り出し」に戻ってしまった、ということになる。
このような事例はごく簡単な形にデフォルメされたものだが、教会の歴史として、非常によくあるもので、珍しくもない事例である。
以上のようなことから、私が伝えたいことは以下のことだ。
どのように賜物と力、情熱にあふれた牧師が赴任して、その世代で教会が立ち直ったとしても、その牧師はやがて教会を必ず去っていく。
その次に職務を堅実に果たす牧師が起こされないなら、先代の牧師が築き上げたものも、ごく短期間のうちに失われてしまう。
教会形成は、特定の牧師の「一世代の職務」で完結するものではないのだ。
「堅実に職務を果たす牧師」がその後に起こされ続けないなら、だれか一人が大きな力をふるって孤軍奮闘したところで、その築いたものは歴史の泡のように消えてしまいかねない。
「堅実に職務を果たす牧師が継続的に起こされ続けること」がないなら、「日本伝道」は世の終わりまで「前進」しながら、建設的に「積み上げていく」ようなものではなく、「積み上げては崩れ、壊れては積む」という「賽の河原の石」のようなものになってしまう、ということだ。
良心的かつ情熱的な牧師が単独で教会をたてなおしても、後に続く牧師がそういったものではなく、教会の職務を「飯のタネ」くらいにしか考えていないようなものなら、教会は容易に崩れていく。
しっかりと職務を果たす牧師が生まれ出て、成長していくためには、「献身者を生み出す教会」の霊性と、「献身者を育てる神学校」の神学教育・訓練がしっかりと組み合わされないと難しい。
さらに、牧師自身が「学び続ける」姿勢、キリストにある生き方を体得していく姿勢、霊的な「自己修練」に励み続ける姿勢などが求められる。
牧師は「霊的アスリート」のようなものなのであって、「訓練・修練」なしにはどんな働きもできはしない。
これらの課題の壮大な困難さを思うと、眩暈のようなものを感じる。ひどい無力感や徒労感をも覚えるものだ。
「主よ、憐み給え。新たな御言葉の役者を起こし給え」と祈らざるをえない。