教会とはなにか⑦ 「伝統」を受け継ぐ

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神学校に行っていたころ、近くにあった家系のラーメン屋にはまっていた。ここのスープがものすごく濃厚で、はらわたの隅々にまで沁み渡るすばらしい味だった。


そこで、夏の暑い盛りのときなどは、修士論文を書く手を休めて、よく食べにっていた。その店には大学生くらいの年齢の若い店員がおり、ラーメン作りの訓練を受けている様子だった。


 私が学部生だったころは、店の主人がすべてラーメンを作っていた。ある時行ってみると、たまたま主人が休んでいて、その若い店員がラーメンを作った。


 食べてみると、まるで味が違う。深みがまったくない。なにより、麺が固すぎる。私はまるで自分の説教を聞いたような気持ちになり、心のなかで「頑張ってください」と声援を送って店を後にした。


 その後、何度か行ったが、すべて主人が作っていて、その味はすばらしかった。それからさらにしばらくして、私は大学院を卒業し、大分に出発しなくてはならない数日前になった。私は最後の別れを告げるような気持ちで、またそのラーメン屋に行った。


 するとなんと、あの若い店員がラーメンを作っていて、主人は奥の方にいてじっとそれを見守っていた。私は内心どきどきしながら注文をした。


じっと観察していると、ラーメンを作る動きが主人と本当に似ていた。


麺の水分を切る動作までが、タイミングなどまで同じだった。

 

ラーメンがきて、スープをまず飲んだとき、電撃のようなものが走った。それは、あの主人が作ったラーメンとまったく同じ味で、すばらしいものだった。麺を食べてみた。


すると、少し固さがあった。しかし、この固さがかえってラーメンをよりよいものにしていた。


 食べているうちにあの若い店員がどれだけ努力したかを思い、感動して涙が出てきた。神学校を出て任地に赴く自分と完全にだぶって、「ああ、この若い店員も、ついにこのラーメン屋の伝統を受け継いだんだ」と思った。


  あの若い店員の持ち味と、主人のうちにあった伝統が出会って、そこに伝統を受け継いだ新しいラーメンが生まれていた。


 よく、「オリジナリティ」や「独創性」、「個性」のことが芸術の世界などでは話題になる。個性的な作品、独創的な作品と言われたら、だれでもそれをほめ言葉だと受け止める。これらは決して悪いものではない。


私たちは個性や独創性をおおいに発揮すべきだろう。


 ところが、こうしたものはなんの下地もないところから、なんの基礎もないところから出てくるものだろうか。そうではないであろう。


 なんの基礎もないところから出たものは、ほとんどすべて昔だれかがやったことである。それはまったく新しいものではない。


「新奇」なだけである。悪くすると、「異端」に過ぎない。


 本当に独創的なもの、個性的なものは、実は伝統を十分に受け継いだ後に出てくるのである。


つまり、伝統とその人の持ち味が出会うときに、徐々ににじんでくるもの、と言えばいいであろうか。


 伝統を受け継いだうえで、初めて私たちは自分自身の新しい一歩を踏み出すことができる。伝統を受け継がないところでなされる歩みは、以前だれかのしたことか、もしくは道を踏み外すことになってしまう。


 伝統を受け継ぎ、それを自分のうちで消化し、そこから持ち味を出していくときに、私たちは本当の独創性を発揮することができるのである。


 考えてみればクリスチャンも、教会の伝統を受け継ぐものである。教会にはすばらしい伝統がある。この伝統は旧約聖書に根差しつつ、2000年以上にわたって教会を建て上げてきたものである。


 この伝統を受け継ぐ、というのは並大抵なことではない。それをしているだけで一生終わってしまうやもしれない大事業である。


しかし、私たちは教会の伝統を学ぶことによって、初めて新しい信仰の一歩を踏み出すことができる。


 教会の伝統を受け継がないところで新しい神学をやるとか信仰の形を作りだすとか、そういうものはまったく無理なのである。


私たちは十分に教会の伝統を受け継いだのちに、初めて新しい一歩を踏み出すことができる。


 それまでは、伝統を学ぶことに時間を費やさなくてはいけない。そうでないと、同じことの繰り返しと異端に迷い込んでしまう。


 教会の危機の時代、伝道の危機の時代に、私たちは新しいことを始めなくてはならない。しかし、その新しいことの大半は、おそらく過去のだれかがしていることである。そして、失敗もすでに経験されている。


 私たちは新しいことを始めなくてはならない今だからこそ、教会の伝統に今一度立ち返ることが必要ではないか。


伝統を受け継ぎなおすことによって、私たちは再出発することができる。新しいことは伝統を受け継ぐなかで生まれていく。


過去は現在となり、将来を照らすのである。


 私たちの時代は新奇なこと、異端的なことが横行している。なにが正しいのか、判別しにくい。そしてなにか新しいことをしようとしても、なにをしたらいいかわからない。こうしたことを教えてくれる宝庫が伝統なのである。


 教会の新しい将来は、伝統に立ち返り、伝統を受け継ぎつつ、それぞれのキリスト者が持ち味を出していくなかで切り開かれていくのではないか。


伝統が現在と出会い、現在を強め豊かにし、そして将来に送り出してこそ、教会は前進できるのだ。


齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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