カール・グスタフ・ユング 「汝の敵を愛せよ」の心理学的意義

 ユング心理学とは?ユングのタイプ論


 

ユング心理学は、人間の「意識と無意識」の関係を追求したものだ。

 

人の無意識には、意識が選択してこなかった、あらゆるものが含まれていると考える。

 

ある意味では、自分という意識の底に、他の別な人間の意識を含んでいるようなものだ。

 

ユング心理学においては、ある程度はだれでも二重人格であるということだ。


無意識のなかに、多かれ少なかれ、「別の自分」を複数、抱いているのが人間なのだ。

 

フロイトは意識と無意識を「矛盾・対立」として考えたが、ユングは「補償・補足」の関係として考えた。

 

無意識が意識に対して、いろいろな要求を突き付けてきたとき、意識はそれを受け入れることができず、深い葛藤状態に置かれる。

 

これが、いわゆる「心の病」「神経症」の状態だ。


意識と無意識が「敵対・分裂状態」になってしまう。

 

心が健康であるとは、意識と無意識がある程度調和した関係を保っていることであり、これが敵対・分裂状態になるのが、心の病気になる。

 

ユングは、意識が無意識の求めを拒否し続けている限り、心の回復は難しいとする。

 

意識が無意識の求めを受容し、意識が無意識のなかに取り残してきたものを改めて取り上げるときに、「敵対・分裂状態」は終わり、意識と無意識は「和解」の道に進む。これが、心の病の回復となる。

 

意識にとって無意識は、自分が切り捨ててきたものであるため、恐ろしい不安をもたらすものだ。

 

しかし、同時にそれは意識が豊かにされる可能性に満ちている宝庫とも言える。

 

意識が無意識という「敵」を、愛して受け入れることができたとき、両者は共に創造的な人生を切り開いていくことができる、とユングは考えた。

 

ここに、「あなたの敵を愛せよ」というイエス・キリストの教えの、心理学バージョンを新しい解釈を見ることができる。

 

ユングは、意識に対して無意識を「敵」と考えた場合、この「敵」を意識が愛することによって、人間は心が回復するとしたのだ。

 

意識があまりに「善」であろうとするときには、「悪」の契機を受容するように求められるかもしれない。

 

あまりにも「敬虔」であろうとするときには、「世俗的」の契機を求められるかもしれない。

 

あまりに「理性的」であろうとするときには、「感情的」の契機を求められるかもしれない。

 

こうした両極性のバランスのうちに心の健康があり、意識にとって受容し難い無意識の求めを認めることで、心のバランスは保たれることを、ユング心理学は描きだしている。

 

ある意味では、ユングは「あなたの敵を愛せよ」のまったく新しい心理学的解釈を見出したという点で、教会に貢献してくれたと言える。

 

もちろん、この解釈が正統的な解釈と違うものであることは承知しているが、こうした理解には正統的理解を「補足」してくれる役割があるのではないか。

 

教会が置き去りにしていくさまざまな認識を、ユング心理学は想起させ、補足してくれる性格があるのだ。



齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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