リチャード・バクスター 「堅固」なキリスト者

 リチャード・バクスター選集 - 巡礼者の小道(Pursuing Veritas)


リチャード・バクスター自身の著作は、私の知っている範囲内では、日本語に翻訳されていない。


これは日本のキリスト教界にとって由々しきことだと思う。

 

業務連絡:だれか、英語力があり、かつピューリタニズムに関心のある方、『キリスト教指針』を訳してください! 日本の教会にとって、とても大事なことです! どうか、お願いします!

 

彼の書いた主著『キリスト教指針』は、大部のもので、英語で通読するのは本当に難しい。


私も少しばかり読んでみたが、長すぎて到底読み通すのは不可能だった。


入門書をいくつか当たったが、当時神学生だった私にとっては、「超大先輩牧師から実践的に牧会を諄々と教えてもらった」ような印象を受け、深く魅了された。

 

バクスターは、まったくの「牧師」として生きた人だ。

 

お気づきの方も多いと思うが、「ただの牧師」として生涯生きた人というのは、実は歴史的に名前が残っているキリスト者のなかに、比較的少ない。

 

多くのキリスト者は「神学者(学者)」として、もしくは「信徒(他分野を専門とする信徒)」として名前が残っている。

 

バルトも、ティリッヒも、ブルンナーも、ニーバー兄弟も、シュヴァイツァーも、・・・みんな大学の「学者」だ。

 

「一介の牧師」として名前が残り、歴史的に影響を与え続ける人は、実は非常に少ない。


限られた小さなコミュニティで生活し、説教や信仰書などで影響を残すのは、並大抵のことではないのだ。

 

しかし、バクスターは、教会を牧会する牧師として、永遠の輝きを放っている。

 

彼は牧師としての「実践」に踏みとどまり、あくまでそこから考え続けた人だ。


彼の教えは理論的なものではない。教会形成の実践そのものだ。

 

学者として名前を残した神学者は神の空を飛び続けたと言えるが、バクスターはタフな地面を汚れながら歩み続けた。


その違いが、著作にはっきりと出ている。彼は小難しい概念や机上の空論は一切語らない。


単純素朴で力強い言葉を語る。

 

彼が目標としたのは、「堅固なキリスト者」というビジョンだ。

 

キリスト者は、最初は誘惑や罪に対して全く弱い。教会形成を担うこともできない。


しかし、御言葉の聴聞や祈り、牧会を受けることで、次第に誘惑と戦い、これを退け、神の御心を行うことができるよう、段階的に成長していく。

 

教会の会衆が、神の御前に責任を担う者として、この世・悪魔・人間からの誘惑や攻撃に対して、固く立ち続け、神の御前に御心を行い続けることができる、そういう「堅固さ」を求めて教会形成に従事した。

 

彼の著作は、読んでいると「胸が苦しくなる」ものが多い。


キリスト者が従うべき「秩序」や「原理原則」を、延々と語り続けるものだからだ。

 

もちろん、彼を「くそ真面目なピューリタンの律法主義者」と考えることもできる。


「この人の本には、福音がどこにもない」という評も出てくるかもしれない。

 

しかし、彼の教えは、いわゆる「律法の第三用法」と言われるものを、さまざまなコンテクストで展開し続けるものなのだ。


つまり、福音の恵みを受けたキリスト者が福音に基づいて生活・家庭・市民社会をどう形成していけばいいのか、その原理原則を解き明かしている。

 

彼の教えのなかに、近代市民社会を成り立たせるために必要な重要原則が詰まっている。


彼はある意味では、近代社会の父と言うこともできる。

 


齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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