アウグスティヌス 「幸福」の神学者

 アウグスティヌス

古代末期のアウグスティヌスという神学者は、西方教会、東方教会、プロテスタント教会、いずれの教派にとっても大切な存在だ。

 

ルターやカルヴァンも、アウグスティヌスからキリスト教神学の基本的な部分を非常に多く受け継いでいる。論敵と論争するときに、アウグスティヌスを典拠にしていることが多い。

 

アウグスティヌスの神学に触れると、その「幸福論的」な要素が強いことに気づく。

 

アウグスティヌスは、「人間が至福に生きるにはどうすればいいのか」を考えた。

 

そして、結論として「神を愛し、神を喜ぶことが人間の至福なのだ」と考えた(と私は理解している)。

 

神の創造された被造物ではなく、どこまでも創造主である神を愛して行く。被造物については、これを用いて神への愛に役立てて行く。

 

彼は「マニ教」といわれる宗教にはまりこんでしまったこともある。

 

プラトン哲学の影響も大きく受けていた。

 

アンブロシウスという師と出会って、聖書を霊的に理解する道が初めて開かれた。

 

そこで、決して消えてしまうことのない愛の対象として、神にたどりついた。

 

それまでには、同棲して子供までもうけた女性との別れなど、悲しくつらい過去がある。

 

彼は神を愛する事に全力を傾け、そこに至上の幸福を見出した。喪失しない幸福だ。

 

「信仰者の幸福」について思いをめぐらしたい方には、アウグスティヌスはよい師になってくれるだろう。

 

アウグスティヌスは、人間が本当の意味で「享受する(喜ぶ)」ことができるのは、神だけであることを繰り返し描いている。


神以外の被造物については、それらを神への奉仕のために使うことはあっても、それらに心が縛られることは、不幸以外ではない。


神との交わりこそが、永続的な幸福の源であって、他のところに幸福を求めても徒労に終わることを、彼は魂に嫌というほど教えてくれる。


一方、彼の神学への疑問は、「幸福論的」であろうとすることで、同時に「ご利益的」にもなってしまってはいないだろうか、ということだ。

 

人間が神を信じるのは、霊的に幸福になれるという利益があるからだ、という論理があるように思うが、これの正当性は問われる部分であるように思う。

 

どちらにしたところ、彼はどの教派の教会に生きる者にとっても、よき導き手になってくれるはずだ。

 

一番有名な著書はこれ。後半から、「記憶」についてなどの哲学的議論が始まり、かなり難しい。前半は、アウグスティヌスの生涯を信仰的に振り返っているもので、親しみやすいもの。






齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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