マルティン・ルターの「霊性」

マルティン・ルター - Wikipedia 


マルティン・ルターの「霊性」

 

ルターは非常に深い「霊性の神学者」と言える。

 

彼の霊性神学のキーワードは、「良心」、「霊(魂の根底)」、「試練」、「御言葉」、「受動的」などなどだ。

 

彼は、人間を基本的に「三分法」で考えている。

 

「肉体」、「魂(精神)」、「霊」だ。これらは、三つの人間的な在り方の段階でもある。

 

この世的な人間は、「肉体」にフォーカスして生きる。肉体的な欲望の追求や快楽を中心とする。

 

精神的な人間は、「知性」にフォーカスして生きる。学問や知識を愛し、認識の快楽に生きる。

 

キリスト者・霊的な人間は、「信仰」と「御言葉」にフォーカスする。祈り、礼拝、聖書に生きる。

 

この「三分法」による人間論は、キルケゴールやブレーズ・パスカルの人間論にもつながるもので、ヨーロッパ思想史に脈々と流れ続けている人間論として重要な類型を形作るものだと言える。

 

ルターは、それぞれの段階で「試練」を経験するごとに、人間の在り方の段階が変容していくことを語る。

 

つまり、人間は「肉体」に試練を受けることによって、「精神的」になり、「精神」に試練を受けることによって「霊的」になる。

 

この世の欲望や快楽を追求して生きていた人が、病気や挫折を経験して精神の目覚めを味わい、書物や知識を愛するようになる。知識や認識もまた古びすたれていくことを思い、永遠の霊的な愛と認識を求めるようになる、ということだ。

 

この流れは、教会の門を叩く人の多くが経験しているところだろう。私自身も、キリスト者になっていく過程でまったくこの道筋どおりのことを味わった。

 

「外からの試練」を経験することで、次第に内的なものに目覚めていき、ついに「魂の根底」にイエス・キリストを受容して、キリストにおいて死に、生きるようになるのが人間としての本来の在り方であることを、ルターは描き出している。

 

「肉体」から「精神」へ、「精神」から「霊」へと生き方の中心が変わることは、もちろん前の段階を完全に捨ててしまうことではない。

 

「霊」に生きる人も学問を愛するし、飲食を楽しむ。しかし、自分の人生の中心軸と最優先課題をどこに置くか、という根本的世界観・価値観が変容していくのだ。

 

「霊」に生きる人は、自分としてはまったくの無となり、この世を捨てておりながら、イエス・キリストをうちに宿すことで、このキリストの活動力、創造力に従って生きるようになる。

 

だからこそ、肉の力により頼む働きではなく、キリストの香りをただよわせることをするようになる。

 

自分を捨てながら、キリストにあって自分を超越していくのが、ルターの語る「霊性」なのだ。

 

ルターの霊性論を知るには、以下の書が最高だ。読みやすく、わかりやすいことこの上ない。すべてをクリアにまとめてくれている。

 

 

齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

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