アウグスティヌスの説教論①

 アウグスティヌス


学生のころ、説教についていろいろ調べていたとき、アウグスティヌスの『教師論』と『キリスト教の教え』をまとめた、『アウグスティヌスにおける教育』(著:岩村清太)という書物を読んだ。

 

これが大変刺激的で教えられるところが多大なものがあったので、学生の自主的な学び会で発表させて頂いたことがある。

 

そのときのレジュメが出てきたので、こちらに転載させて頂きたいと思う。

 

これを読み返しながら、ある方からは「この説教論には新しい言葉を聴く啓示という契機がない」と言われて議論となり、ある方からは「大方については賛成だが、いろいろ批判したい点がある」と言われたことなどが浮かんできて、東京神学大学の学生時代の楽しい交わりを、懐かしく思い出した。

 

もうこれを書いたときから、ずいぶん長い時間が経過してしまったようだ。

 

以下のレジュメは私が学生のときに、牧会の経験も積まずに書いたものであるため、かなり「生意気」なものであり、「経験や実感に即していない」面が多々あるが、そういった未熟な点は笑って無視して頂き、アウグスティヌスが語る「教えること」の意義を見て頂きたい。

 

そのときのレジュメが出てきたので、こちらに転載させて頂きたいと思う。

 

以下転載  『アウグスティヌスに見る説教論』 

 

☆これはアウグスティヌスの説教に関する教えの客観的言述ではなく、齋藤によって解釈されたアウグスティヌスに見る説教論である。ところどころ、思い切って言い換えや解釈を大きく加えている。

 

学問的正確さ、精密さにおいてアウグスティヌスの教えを描写したものではなくて、説教者の実践に応用したもの。

 

☆主なテキストはアウグスティヌス著作集2に収録されている『教師』である。

 

1 アウグスティヌスにおける「言葉」

 

・言葉=記号=或るものを指し示している。→「シグヌム(記号)-レス(事物)」図式。「人間は人間ではない」という命題。「ライオン」と語るとき、「口からライオンは出てこない」。

Cf:ヘブライ語「ダーバル」の二つの意味=「言葉」「事柄」

 

2 言葉の機能

 

・言葉そのものは記号に過ぎない。それは耳をただ打つだけ。それだけでは雑音のようなもの。

 

・その耳を打つ言葉(記号)が指し示している対象を既に知っているときにだけ、言葉を理解することができる。

 

・つまり、その言葉(記号)の指し示す対象を前もって知っていない限り、言葉は理解できない。

 

・すでに聞き手が、その対象を見たり聞いたりして過去のどこかで「経験」しており、そしてその対象が「記憶」のうちにイメージ、表象として蓄えられている限りにおいて、現在聞かれる言葉は理解される。

 

・そのとき、言葉はただ「記憶」のうちにあるイメージ、その対象を「想起」させることができるに過ぎない。言葉そのものによって、対象を伝えることは不可能なのである。

 

・ゆえに、言葉によってはなにも教えることができない。言葉はすでに聞き手が知っていることを想起させているだけであって、聞き手が知っていること以外にはなにも教えてはいないのだから。

 

3 教師(説教者)の働きの意味

 

・「知識」=言葉によって表現される一定の命題。

 

・「知識」=言葉の本質や言葉同士の間にある関係を表現したもの。=現実世界の事物、対象の本質や、その間にある関係を記号化したもの。

 

・「思考する」=「記憶のうちにあるイメージを集めたり、束ねたり、結びつけたりすること」。つまり、思考することによっては、新しいものはなにも知りえない。それはすでに知っていることの間にある、つまり雑然としているイメージや知識の間にある関係を捉えなおすこと。

 

・教師(説教者)は言葉、知識を語る。その言葉を聞き手が聞くとき、自分の記憶のうちにある経験、イメージを想起する。まずは一つひとつの単語から、一つひとつの経験やイメージを想起する。そして、説教者の言葉のうちにある単語と単語の間の関係を表現する言葉から、聞き手は自分の記憶のうちにある経験やイメージを集めたり、束ねたり、結びつけたりする。こうして、教師の言葉は聞き手に作用して、思考を促す。思考するのは聞き手自身であるが、教師の言葉はそれを助け、それが正しくなされるように奉仕するのである。

 

・こうして、聞き手の既知の知識、経験が教師(説教者)の言葉によって、複雑化、緻密化、もしくは単純化、総合化される。こうして、聞き手は教師の言葉の導きに従うことによって、新しく自分の知識や経験を記憶のうちにおいて、教師の言葉と自分自身の思考を通して、「再形成」し、「再解釈」するのである。

 

・このようにして、聞き手の人格的内面的総体である「内なる人」は、日々新たにされるのである。こうして、人は知識や経験において、もしくは人格的に成熟してゆく。

 

(次の記事に続く)

 

私が最初に読んで刺激を受けたものはこちら。価格が高いが、なんらかの教育的な働きをしている方は、読む価値はおおいにある。図書館で借りるといいかもしれない。

 



齋藤真行牧師の説教・牧会チャンネル

https://www.youtube.com/@user-bb1is6oq4x/featured

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